日本刀の魅力 折れず曲がらず良く切れる

日本刀の魅力 

なぜ、刀はこれほどまでに人を惹きつけるのでしょうか。

一国氏貞(いっこくうじさだ)という逸話があります。

豊臣秀吉が木下藤吉郎と名乗っていた頃、出雲守氏貞(濃州関の中上作)の刀に魅了されて、何度も詰め寄るも断られ、十一国の領主となった後、「伊勢一国と交換すべし」と言ったが、それでもまた断られたというお話です。

伊勢とは現在の三重県です。

もはや物では不釣り合いと考え国と交換しようとしたほど秀吉を魅了させ、そして、相手もその申し出を断るまでに、同様に魅了させたのでしょう。



日本刀は古来から持ち主、時の権力者、今に至るまで「人間」を魅了しています。

「刃物としての魅力」「美しさ」「神秘的な魅力」「歴史的な魅力」など

人それぞれが感じる日本刀の魅力があると思いますが、ここでは私が思う魅力を書いてみようと思います。

それは一言で言うと

「謎めいた奥深き機能美」です。

折れず曲がらず良く切れるという機能を追求し結果として生まれた美しさ、そこには未だに説明できない解明できないものが存在するから求める人に対して魅了し続けるのではないかと考えました。


刀は非常に奥が深く、古くから学問にもなっております。

実際に本間薫山氏や佐藤寒山氏から今に至るまで刀剣学者が多数存在しており、美術品の中で唯一「刀剣学」として成立しております。

鑑定も歴史は古く本阿弥光徳(ほんあみこうとく)氏が1616年に「刀剣極所」の役を与えられて発行
(鑑定書の体をなした最古のものは、室町時代末期の文明二年に赤松政秀が書いたものだと言われています)
が始まります。

本阿弥家が極めて(鑑定して)いる刀は将軍家や大名家、重職たち以外所有することができない名刀ばかりで、
江戸初期頃から明治頃まで一般の人間は名刀を所有することできなかったと考察されております。

日本刀に関する書籍は最古のもので「正和銘尽(しょうわめいじん)」が鎌倉時代の正和頃1312年頃とされ、原本はありませんが、1423年に書き写された写本が「東寺」の「観智院」に伝来していた記録があります。

令和の現在では日本刀に関する書籍は数えきれない程、膨大な数となります。

このように日本刀は古くから鑑定があり、学問としても奥が深く、膨大な情報が詰まっています。

終戦後、刀はGHQに没収され、一部研究材料にされた話を聞きます。

時代と共に、科学も進歩し、さらに研究、そして解明され、情報も増え、今に至ります。

しかしながら未だに鎌倉時代などの古刀が評価されていたり、現代の刀匠までもが古刀再現を目標として励んでいる方もおります。

日本刀は歴史同様、そこには未だに諸説が存在し、作刀方法も全てが解明されたわけではなく、謎が少なからず存在します。

今でも再現はできておりません。

理由は完全に解明できていないからではないでしょうか。

「まだ追求できるものがある」「まだわからないことがある」

それが奥が深い日本刀の魅力なのではないかと考えました。

折れず曲がらず良く切れる

日本刀は現在美術品として扱われています。平安時代中期以前は反りがない直刀の姿で、武士の権威の象徴でもあり、祭神具でもあり、武器でもありました。元来は、武器として生まれました。

武器として使われる条件は様々で、馬上からの使用、頑丈な甲冑への突きや打ち込み、同じ硬い刃物同士の打ち込み合いなど

馬に乗りながら使用するには長さと軽さが求められ、甲冑への攻撃には曲がらない耐久性が求められ、相手の刀への打ち込みには折れない、欠けない靭性が求められます。

「折れず曲がらず良く切れる」

言葉にすれば「強い」とか「頑丈」と一括りにできるのですが、現実的に、物理的には矛盾となる要素が詰まっています。

物質は、硬くなればなるほど曲がりにくくなりますが、衝撃に対しては柔軟性を欠き、折れやすくなってしまいます。

軽くするため身幅や重ねを減らしまうと構造的には強度も落ちます。

物理的に切断するためには相手以上の組織的硬度と鋭利な形状が必要条件になりますが、形状を鋭利にすると、破損しやくなり、硬いと脆くなり、割れやすくなります。

しかし、刀工はこの矛盾条件を要求され、応えようと試行錯誤してきました。

軽さの追求、折れにくさの靭性(ねばり強い)、柔軟性の追求、曲がりにくさの剛性の追求、切れるための細い形状と硬さ(変形しにくい、傷つきにくい)の追求

どれかを求めると別の何かが失われます。

「折れず曲がらず良く切れる」

これをバランス良く叶えたものが結果的に折り返し鍛錬と造り込み、姿となったのではないかと考察しています。

何度も何度も試行錯誤し、結果的に出来た「折れず曲がらず良く切れる」

異なる材料(軟鉄、炭素鋼)を何万層(折り返し鍛錬)にしたことにより、柔らかい軟鉄部分で衝撃を吸収する折れづらさになり、鎬を作った構造的な強度確保形状(造り込み)が曲がりづらくなり、反り(姿)を付けたことにより打っても引き切りとなり良く切れるようになった。

現代の研究により、日本刀の鉄は炭素量の違いで柔らい順にフェライト、オーステナイト、パーライト、トルースタイト、マルテンサイトなどという組織名称に分けることができます。

作刀当時、このような組織名称や概念はないはずですが、実際に刀工は鉄に炭素を吸炭、脱炭させ、炭素量を調整し、硬柔の鉄を作っていました。

刃文の刃の部分は一番硬く、主にマルテンサイトで形成されております。
陶磁器のような硬さをもつマルテンサイトは高温の炭の中ではできません。
750度前後で吸炭状態にし、水などで一気に急冷することにより、鉄の中の炭素を吐き出せないようにしてマルテンサイトになります。

当時、顕微鏡もなければ、硬さを計る指数もありませんでした。温度計もなく、炭や刀の色で見極めていたと言われております。
何度も何度も試行錯誤し、このような業が完成されたのではないでしょうか。

終わらない挑戦

科学が進歩した今でも日本刀は解明できてないことがあります。

現代刀工の方も、焼き刃土の原料である粘土が採れなくなると前と同じような微妙な刃を表現できなく、成分効果について理屈で説明できなかったり、研ぎ師の方も仕上げ研ぎで使用する金肌拭いの原料違いで刃と地で色味変化が出ることについて理屈では説明できなかったりと。

しかし、言葉や理屈で説明できないのに目的を達成したり、目的に近づいている。

日本刀の世界ではこのようなことが多々あります。

折れず曲がらず良く切れる

この物質的矛盾に刀鍛冶が挑戦して約1000年。

平安時代からのその課題は今も尚あり、現代の刀鍛冶も創意工夫をして目的を達成しようと作刀しています。

終わらない挑戦

刀鍛冶の魂が入ったこの挑戦こそが、決して真似できない業となり、謎となり、鉄を赤めるように、人の心までをも熱くさせ魅了させるのではないでしょうか。

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