古刀・新刀・新々刀・現代刀

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古刀・新刀・新々刀・現代刀について

日本刀を時代で大きく分けると古刀、新刀、新々刀、現代刀に分けられます。
古刀はおおまかに室町期以前の刀、新刀は江戸初期から後期、新々刀は幕末、現代刀は明治から現在至るまでの刀ことを言いそれぞれの時代ごとの特徴や魅力がございます。
古刀

平安時代中期~ 文禄四年(1596年)

主に弓や槍と同様に武器として実戦用に作刀されてきました。折れず曲がらず良く切れる、その機能性を追求して現れた姿の美や刃文の美、地鉄の美は時代を越えても私たちを魅了させています。備前、相州、山城、大和、美濃が五ヶ伝といい、古刀の五大生産地となっており、それぞれ、地鉄、刃紋などに特徴が現れ、古刀の基本ともなっています。今から約1000年から400年前になり、時代の経過や時代背景により、欠損、研ぎ減り(研磨)、磨り上げ(茎から加工し全長を短くすること)があり、作刀された当時姿のものは少なく、当時の姿を想像しながら刀を観ることが必要になり、またそれを愉しむことができます。新刀との細かい分け方としては安土桃山時代を境に古刀、新刀を分けており、慶長から新刀と言います。古刀もさらに3つに分ける言い方があり、古刀期(938-1318年)、中古刀期(1319-1461年)末古刀期(1460-1596)と分けています。因みに上古刀とは奈良時代以前とし、反りはなく、直刀姿で出現で太刀ではなく大刀「タチ」と書かれ「ニホントウ」とは書かれていませんでした。

新刀 

慶長元年(1596年)~ 宝暦十三年(1764年)

新刀の主な特徴は、江戸時代に平静の世となり、徐々に反りが浅い姿に変化していったことです。また使う需要が減りよ装飾的な目的が増え、鍛錬技術の変化などもあり古刀よりも比較的綺麗な肌(鍛え傷が少ない)になっていきます。刃文は簾刃、数珠刃、濤乱刃など新しい絵画的な刃紋もできてきたのが新刀期の特徴です。また地鉄・刃文同様に、装飾的な彫物も増えてきます。

江戸期に入ると交通の便もさらに向上し、鉄の産地で作られていた刀が、材料、道具を持ってきて都市で造られるようになりました。 東京や大阪などの大都市でもたくさんの刀匠たちが活躍するようになっていきました。

新々刀 

明和元年(1764年)~ 明治九年(1876年)廃刀令


新々刀は動乱の幕末を生き抜くため、刀も身幅の広い反りがある力強い覇気のある姿のものが多くなったとされています。鉄の製錬方法が安定し、供給されるようになったため地域の地鉄の差がなくなり、新々刀特有の無地風の肌となるのも特徴とされております。状態としては今から約250年から150年前くらいになりますので保存の状態がよいものがたくさんの残っております。

現代刀

現代刀は廃刀令後からの現代に至るまでの刀匠たちのことをいいます。今でしかできない機械の使用、今でしかできない研究で鍛錬技術や生産技術もさらに向上しました。ただし、現在決まりにより最高でも刀は一年で24振り(短刀、脇差だけなら最高36振り)しか作刀できず制限されております。全国で約200人以上の刀匠たちがおり、今だに解明できないことや謎に包まれた技術がある中、過去の刀匠に迫ろう、超えようと日々努力しております。

和暦や西暦については表もありますので、詳しく知りたい方はここをクリックしてください。


※あくまで特徴は世間一般的に言われているもので、移行期前後は、それぞれの特徴が現れたり、年を境にして明確な、はっきりとした変化もなく、絶対的な特徴ではありません。当然過去の刀工は今の学者に決められて作刀しているわけでもなく、ある程度狙った作刀もできるのでこれらの特徴はあくまでのおおまかな特徴としてとらえていただければと思います。
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