康重( 山本与五郎康重)天正頃 k240707

¥300,000

在庫1個

刃渡り(長さ) 53.6センチ

反り    0.9センチ

元鎬厚 6.3ミリ     元重ね5.5ミリ

先鎬厚 3.9ミリ     先重ね3.5ミリ

元幅 27.8ミリ

先幅 18.1ミリ

刀身重量436g

ハバキ 金着せ

目釘穴 1個

鑢目 勝手下がり心の切鑢

鍛え 板目杢交る 良く錬られる

刃文 中直刃、物打ち所湾れる

匂本位 金線、金筋、小足(鼠足)、逆足(坂足)入り良く働く

帽子 直調丸く返る

寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。

銘文  無銘  鑑定 下原/下原康重極め(天正頃)

康重の評価額  500~550万円

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説明

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大名登録 古刀天正康重(山本与五郎康重)

(大名登録について)

刀が登録制になった初年度、昭和26年の登録になり、元華族、元大名、元士族順に登録をお願いしたことから名刀が多いとされております。 本刀、昭和26年初年度の希少な4桁の大名登録です。

(下原康重について)

中上作刀工

康重は永禄六年生まれ、名を山本藤左衛門、武州下原鍛冶の宗家と伝えられる。

武州下原派は、現在の東京都八王子周辺で活躍した刀工集団で、室町末期に下原鍛冶の始祖という但馬周重の嫡子で二代内匠周重が北条氏康より「康」の字を貰い、康重と改名。

弟の長門周重も北条氏照より「照」の一字を貰って照重と改名したというのが通説。

康重は天文頃に周重の子の山本藤右衛門尉、天正頃に藤右衛門尉の子の山本与五郎がいる。

武州多摩郡下恩方の下原の地に来住鍛刀。彼等を庇護した領主は管領山内上杉家の武蔵守護代の大石氏、上杉家を破り関東を制圧した小田原北条家、さらには豊臣秀吉による小田原城陥落の後北条氏滅亡(天正18年)以降は徳川家から旧領を安堵され、幕府の御用鍛冶として幕末まで鍛刀が続けた。

同派からは照重、廣重、正重、宗國、安國、利長などの刀工が出自して最盛期には『下原十家』といわれるほど繁栄する。

室町時代から江戸時代末まで続いた武蔵国唯一の刀工群である。

 

 

 

追加情報

脇差