豊後高田住則行 刃渡り68.4cm 反り1.3cm  白鞘入り 新刀(江戸初期寛文頃)

刃渡り(長さ) 68.4センチ

反り    1.3センチ

元鎬厚 6.2ミリ     元重ね5.7ミリ

先鎬厚 3.4ミリ     先重ね3.0ミリ

元幅 29.5ミリ

先幅 18.1ミリ

刀身重量587g

ハバキ 銅

目釘穴 1個

生ぶなかご

鑢 勝手下がり心の切鑢

茎尻 刃上り栗尻

刃文 直調小乱れ尖り刃交り 小沸出来 地沸付き映りたつ

打ち除け、砂流し、金筋 銀線働く

帽子 直調丸く返る

鍛え 板目、杢交る

寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。

銘文  豊後高田住藤原則行

則行の評価額  要覧には記載なし

説明

 

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高田について

業物列位に良業物、業物に高田の刀工は複数名掲載されており、「折れず、曲がらず、良く切れる」という日本刀本来の実用性能を備えた武用刀として昔から定評有り。

鎌倉時代初期に豊後国に定秀や行平の名工がおり、南北朝時代には豊後国高田(現在の大分市)の地に筑前左文字の門人である友行が出現する。

友行は豊後高田の始祖として名高く、大山祇神社に奉納された国宝の大太刀 無銘 伝豊後友行 (野太刀拵)をはじめ重要文化財、重要美術品を含め五口の国指定品が有り。

友行は備前長船に出向き、相伝備前を学び、さらには相州鎌倉にも行き貞宗に学んだとの説有り。

『豊後国高田住友行 建武二年五月日』の作品や、正平年間(1346~69)、文和二(1353)、康安二(1362)、貞治年間(1362~67)、至徳元(1384)などの年紀作有り。

藤原高田、平高田について

南北朝期の「古高田物」と称される一派の多くは「藤原」、室町期の「末高田」一門は豪族大友宗隣に抱えられ「平」を名乗ることが多い。

新刀期に入ると「藤原」姓を復興、名に「行」の字を末尾に用いた工銘が多くなる。そのため古刀期にも藤原と銘をきる高田の刀工有り。

天下泰平のもと、武人の好尚に柔軟に応じて山城伝、相州伝、備前伝、美濃伝の各伝に熟して市中から幅広い人気を得る。

初代則行は寛文頃の刀工である。

初代則行は阿部三郎右衛門と称し、藍沢正行の門人となり『豊後住藤原則行』、『豊後高田住則行』などの銘を切る。

後代については二代長次郎則行(天和)、三代又次郎則行(元禄)、四代勘太郎則行(宝永)、五代孫兵衛則行(享保)、六代林蔵則行(明和)、七代孫次郎則次(寛政)、八代梅太郎則平(天保)、九代次八則國(嘉永)と江戸時代を通じて多いに活躍する。

 

商品の状態

*刃切れ・刃絡み・曲がり・撓え・膨れ・匂い切れ・駆け出しございません。 刃こぼれ有

 

追加情報

太刀・刀