委託販売 水心子正秀 天明三年七月日 特別保存 白鞘入り 刃渡り39.8cm 反り0.6cm

¥1,000,000

在庫1個

刃渡り(長さ) 39.8センチ

反り    0.6センチ

元鎬厚 6.0ミリ     元重ね5.4ミリ

先鎬厚 4.7ミリ     先重ね4.3ミリ

元幅 27.7ミリ

先幅 20.9ミリ

刀身重量321g

ハバキ 金着せ

目釘穴 二個(内一個埋め)

鑢目 筋違勝手下がり

刃文 互の目乱れ  飛び焼き交り匂口深く焼く  沸出来 地沸付く

葉、足入り、湯走り、稲妻、砂流し働く

帽子 砂流し働き丸く返る

鍛え 柾目地鉄詰み良く錬られる

寸法、グラムは約でご理解ください。刃渡り・反りなど登録書を映しております。

銘文  水心子正秀 天明三年七月日

水心子正秀の評価額  750万円

説明

 

 

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委託販売  水心子正秀 (初代)

新々刀大御所 江戸三作の名刀工

天明三年七月日の裏年期から初代水心子正秀、四十二歳の作と見受けられる。

水心子正秀について

初代水心子正秀は新々刀の開祖とも言うべき江戸時代後期を代表する刀匠で、寛延三年に出羽国置賜郡賜郷元中山(山形県南陽市元中山)に生まれ名を川部儀八郎という。幼名は三治郎。

山形城下にて名を英国と改める。少年期に野鍛冶に学ぶ説や仙台國包に学んだとされる諸説あり。

その後藩士の紹介で武州川越の宮川吉英に入門する。

安永三年、山形城主である秋元永朝に召し抱えられ、名を儀八郎正秀と改める。

後に水心子という号も使用する。

天明以降は江戸にのぼり日本橋浜町の秋元家中屋敷に住み、 備前伝を石堂是一、相州伝を綱広に学び、さらに駿州島田に義助の子孫を訪ね、相州正宗相伝の系図や鍛法の秘書を譲り受け、他、備前の助平・吉平・一文字・国宗などの伝書も入手したともいわれ作刀研究に尽力したことがうかがえる。

古刀を目指す復古刀を提唱、研究し実用的な刀剣の製作を行い、出羽の大慶直胤、下野の細川正義をはじめとする全国から集った百人以上ともいわれる多数の門弟を育成する。

文政二年に天秀と改名、文政八年に七十六歳没。

特別保存刀剣

協会にて在籍確認、登録証も教育委員会にて在籍確認済

共に在籍、記載内容に相違ございません。

多くの文献に名を見せる著名刀工であり、刀剣研究の入門段階でまず触れるほどの代表的な刀です。

証書付き、誰も知る有名な刀を所有したいという方におすすめする一振りです。

日本刀は日本の有形文化財であり、私たちが後世に残すべき大切な文化財です。

次の主が見つかるまでの間、一時的に弊社にてお預かりし、お世話をさせていただいております。

刀剣のお買取り、下取販売、仲介も承っております。

 


商品の状態

*刃切れ・刃絡み・刃こぼれ・曲がり・撓え・膨れ・匂い切れ・駆け出しございません。
*時代による、汚れ、細かな擦れ傷,劣化等はご了承ください。写真を参考にしてください。

追加情報

脇差