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兼吉について
兼吉は美濃関七流のうち最も大きな流派である善定派の祖と知られる。南北朝末期より室町初期、応永にかけて作刀が確認されている美濃国屈指の優作鍛冶である。
日本刀銘鑑によると兼吉の出自は康応(こうおう1390年) 本国大和、手掻包吉同人、または子という。名を清治郎、法名善定と記載あり。
兼吉は室町期に七代あったと考えられおり、善定派の末裔からは孫六兼元、兼房、氏房、兼道(三品派{伊賀守金道、丹波守吉道、越中守正俊}の祖)など名工を輩出した。